日本のプライベートキャピタル市場は、単純に「投資が増えている」という段階から、次のフェーズへ移りつつある。
重要なのは、資金が日本企業全体に均等に向かっているわけではないことだ。
クロスボーダーM&A、グリーンフィールド投資、プライベートエクイティによる買収、そして東京証券取引所のGrowth Market改革を見ていくと、資本が向かっているのは、単に「安い企業」ではない。
むしろ、戦略的な技術、事業再編余地、海外展開余地、IPOやM&Aなど複数の出口を持つ企業に資本が集まり始めている。
JETROによれば、2024年の対日クロスボーダーM&Aは208件と前年比24.6%増加した。米国からの投資が99件、全体の47.6%を占め、英国、香港が続いた。JETROは、円安による日本企業・資産の割安感、コーポレートガバナンス改革、海外PE資金の流入などが増加要因になったと分析している。
一方、2024年の対日グリーンフィールド投資も223件と前年比15.5%増加し、投資額は約310億ドルと過去最高を更新した。半導体、通信、電子部品に加え、データセンターや物流施設への大型投資が目立っている。
つまり、日本に入ってくる資本は増えている。
しかし、その資本が評価しているものは、以前とは少し違う。
日本企業の「価格」だけではなく、日本企業が持つ「選択肢」が評価され始めている。
一、対日M&Aは回復している。しかし、それは「何でも売れる市場」ではない
2024年の対日クロスボーダーM&Aは208件で、前年から24.6%増加した。
これは日本のM&A市場が再び海外投資家の視野に入っていることを示す重要な数字である。
ただし、ここで注意すべきなのは、「対日M&Aが増えている」ことと、「日本企業全体の売却価値が上昇している」ことは同じではないという点だ。
JETROがLSEGをもとに集計した完了ベースでは、2024年の対日M&A金額は139億ドル、件数は143件だった。金額は前年比6.9%減で、件数も2023年の151件から143件となっている。
一方、別の集計方法であるRECOFのMARR ProをもとにしたJETROのクロスボーダーM&A件数では、2024年に208件、前年比24.6%増となっている。
この差は、M&A市場を見る際に「何をM&Aとして数えているのか」「公表ベースなのか、完了ベースなのか」を区別する必要があることを示している。
したがって、現在の日本市場を単純に「M&Aブーム」と表現するより、
「海外資本による対日M&Aの関心が明確に回復し、その対象が選別されている市場」
と捉える方が実態に近い。
二、資本が向かう企業と、M&Aの対象になる企業は同じではない
ここに、現在の日本M&A市場を理解するための重要なポイントがある。
資本が集まる企業と、売却される企業は、必ずしも同じではない。
資本が集まる企業には、少なくとも次のような特徴がある。
・戦略的な技術や知的財産を持つ
・特定の市場で強いポジションを持つ
・海外展開による成長余地がある
・事業ポートフォリオを再構築できる
・IPO、M&A、継続保有など複数の選択肢を持つ
一方で、M&Aの対象となる企業には、
・親会社がノンコア事業を切り離したい
・事業承継や後継者問題を抱えている
・経営資源の再配分が必要
・非上場化によって長期的な企業価値向上を目指せる
・外部資本によって次の成長段階へ移行できる
といった事情がある。
つまり、現在のM&Aでは、
「その会社が優良企業か」だけではなく、「その会社が次に何を選択できるか」
が重要になっている。
三、AI・半導体・データセンター――日本でも「戦略的資産」の価値が上昇している
日本への投資を見ると、この変化はより明確になる。
2024年の対日グリーンフィールド投資は223件、約310億ドルとなった。件数は前年比15.5%増で、通信、半導体チップ、電子部品・デバイスなどの投資が増加した。
また、2024年の投資額上位10案件を見ると、半導体関連が3件、データセンターが4件を占めた。
つまり、日本への海外資本の流入は、単なる「日本市場への販売拠点設立」だけではない。
デジタルインフラ、半導体、データセンター、電子部品といった、次世代の産業基盤そのものへの投資が増えている。
これはM&Aにも重要な示唆を与える。
企業価値を決めるものが、現在の利益だけではなく、
「この企業を取得することで、将来どの市場にアクセスできるのか」
「どの技術・顧客・データ・人材・インフラを獲得できるのか」
という問いに変わっているからだ。
四、日本のPE市場で起きているのは「買収の増加」だけではない
日本のPE市場について、「買収から企業価値創造へ完全に移行した」と断定するのは早い。
しかし、実際の大型案件を見ると、投資会社が単純に株式を取得するだけではなく、事業再編、カーブアウト、MBO、非公開化、成長戦略との組み合わせを使うケースが目立つ。
JETROによれば、2024年から2025年9月までの主要な対日クロスボーダーM&Aでは、投資会社主導のMBOが目立ち、取引の動機や手法も多様化している。
たとえば富士ソフトでは、KKRが二段階のTOBによって非公開化した。田辺三菱製薬では、Bain Capitalが投資助言を行うファンドを通じて事業を取得した。トプコンではKKRと経営陣によるMBOが実施された。
これらに共通するのは、
「会社を買う」ことそのものより、買収後に何を変えられるかが取引の重要な部分になっている
ことである。
五、2025年上半期の対日M&A急増が示したもの
2025年上半期の対日M&Aは117億ドルと、前年同期の61億ドルからほぼ倍増した。
ただし、この数字をそのまま「日本M&A市場が倍になった」と解釈するのは適切ではない。
JETROによれば、2025年の金額にはKKRによる富士ソフト買収の取引分が大きく寄与している。富士ソフトは2025年5月にKKR傘下となり、取引総額は27億ドルだった。
同時期には、Bain Capitalによるセブン&アイ・ホールディングスのスーパーストア事業取得、田辺三菱製薬の取得、KKRとトプコン経営陣によるMBOなど、大型の投資会社主導案件も続いた。
ここから読み取れるのは、単純な「外国企業による日本企業買収の増加」ではない。
むしろ、
日本企業の事業ポートフォリオ再編と、海外資本の長期的な企業価値向上戦略が接続し始めている
という変化である。
六、海外資本が日本に入る理由は「安いから」だけではない
円安は確かに重要だった。
JETROも、2024年の対日クロスボーダーM&A増加の要因として、円安による日本企業・資産の割安感を挙げている。
しかし、それだけでは現在の投資構造を説明できない。
日本へのグリーンフィールド投資では、半導体、データセンター、電子部品、通信などへの投資が増えている。
また、2024年末の対日直接投資残高は53.3兆円だったが、2025年末には61.2兆円まで増加した。前年比14.8%増である。もっとも、この増加には株式資本だけでなく、企業グループ内の負債性資本の増加も大きく寄与しているため、すべてをM&Aや新規買収の増加と解釈することはできない。
つまり、海外資本による日本への関心は、
「日本企業が安くなった」
から、
「日本に存在する特定の技術・事業・インフラ・人材・市場アクセスに戦略的価値がある」
という方向へ広がっている。
七、東京証券取引所のGrowth Marketも「出口」の意味を変えつつある
日本企業にとって、M&Aだけが出口ではない。
2026年8月、東京証券取引所は「Growth Marketの発展に向けた研究会」を設置した。
この研究会では、Growth Market上場企業だけでなく、IPOを目指す未上場スタートアップ、機関投資家、VCなどを含め、Growth Marketに上場する企業のあり方や市場インフラについて議論することになっている。2026年8月21日には第1回会合が開催された。
これは単なるIPO制度の議論ではない。
企業にとって、
IPO → 成長 → 継続保有 → 戦略的売却 → M&A
という複数の経路を持つことが、資本政策上ますます重要になっていることを示している。
企業に複数の出口があればあるほど、売り手は一つの買い手に依存する必要がなくなる。
そして、これはM&A交渉そのものを変える。
八、日本企業を買うなら、「なぜ売るのか」より「売らなくてもよい理由」を見る
従来のM&Aでは、買い手は売り手側の事情を分析した。
「後継者がいないのか」
「資金が必要なのか」
「親会社がノンコアと考えているのか」
「株主が売却を求めているのか」
もちろん、これらは現在でも重要だ。
しかし、これからの日本M&Aでは、もう一つの質問が重要になる。
「この会社は、なぜ今すぐ売る必要がないのか?」
である。
IPOの可能性がある。
海外展開の余地がある。
新規事業を立ち上げられる。
戦略的パートナーを選べる。
PE投資を受けて成長できる。
あるいは、親会社の中で独立した事業として価値を高めることもできる。
このような企業は、売却しなければならない企業ではない。
したがって、買い手が支払うべき価値も変わる。
それは単なる「現在の利益」に対する価格ではない。
将来の選択肢を確保するための価格である。
九、これからの日本M&Aは「買う」より先に「選択肢を確保する」
ここで、M&AとOptionality(オプショナリティ)の考え方がつながる。
買収を考える企業にとって、本当に重要なのは、
「この会社はいくらか?」
だけではない。
むしろ、
「この会社を取得することで、将来どのような選択肢が増えるのか?」
である。
たとえば、
・新市場への参入
・海外展開
・技術獲得
・人材獲得
・新規事業への展開
・追加買収
・IPO
・事業分離
などである。
したがって、M&Aの価値は「現在の企業価値」+「将来の選択肢」として考える必要がある。
これは、OP-MAがこれまで提案してきた「Seller’s Option(売り手のオプション)」の考え方とも一致する。
十、日本の優良企業は「売りやすくなる」のではなく、「売り方を選べるようになる」
日本企業への海外資本流入が増えると、「これから日本企業はどんどん買われる」という見方が出てくる。
しかし、より重要な変化は別のところにある。
優良企業ほど、必ずしも売却を急ぐ必要がなくなっている。
IPOという選択肢がある。
PEから資本を調達する選択肢がある。
戦略的パートナーを選ぶことができる。
少数株式だけを売却することもできる。
事業の一部だけをカーブアウトすることもできる。
つまり、企業にとって「売るか、売らないか」という二択ではなく、
「何を売るか」「どこまで売るか」「いつ売るか」「誰に売るか」
という複数の選択肢が生まれている。
これが、2026年の日本M&A市場を見るうえで重要な変化である。
十一、OP-MAの視点――「売却価格」ではなく「残す選択肢」を考える
日本のプライベートキャピタル市場は、単純な「資金流入」の局面にあるわけではない。
対日クロスボーダーM&Aは回復し、グリーンフィールド投資では半導体、データセンター、通信、電子部品などへの大型投資が目立っている。海外PEによるM&Aでは、MBO、カーブアウト、事業譲渡、非公開化など、取引構造も多様化している。
しかし、その結果としてすべての日本企業が「売りやすくなる」わけではない。
むしろ、資本が評価する企業ほど、
「売らなくても成長できる」
という選択肢を持つ可能性が高い。
だからこそ、これからのM&Aでは「売却価格」だけを見るのでは不十分になる。
重要なのは、
今、何を売るのか。
そして、将来のために何を残すのか。
これは買い手にとっても、売り手にとっても同じ問いである。
日本M&A市場の次のフェーズは、「誰が誰を買うか」だけではなく、誰がどれだけのOptionalityを確保できるかによって決まるのかもしれない。
日本でM&A・投資・事業売却を検討している方へ
OP-MAでは、日本企業のM&A・投資・事業売却について、単純な「買い手探し」や「売却価格」だけではなく、
いつ取引するのか。
どこまで売却するのか。
どのようなストラクチャーを使うのか。
そして、取引後にどのような選択肢を残すのか。
という視点からM&A戦略を考えています。
日本企業の買収、海外投資家との資本提携、事業売却、カーブアウト、MBO、IPOを含む資本戦略についてご相談ください。
Email: marketing@op-ma.com
M&Aは、価格から始まるとは限らない。
「今、何を売るべきか。そして、未来のために何を残すべきか。」
その問いから、M&A戦略は始まります。
